《 シリーズ経営革新(3) 》
ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ社長
海野一幸氏に聞く
赤字クラブを1年で再生させた
“サッカー界のゴーン”



3年前、存続の危機にあったサッカーJ2リーグのヴァンフォーレ甲府。当時、4億円を超える累積債務を抱え「解散やむなし」と言われていたこのクラブを、わずか1年で再生させたのが海野一幸社長だ。就任以来黒字決算を継続し、クラブを着実な成長軌道へと導いてきた。“サッカー界のカルロス・ゴーン”と呼ばれる海野社長に、これまでの道のりを聞いた。

ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブはプロサッカーチーム、ヴァンフォーレ甲府の運営会社として97年に設立された。出資は、山梨県、甲府市、韮崎市、地元メディアの山日YBSグループ(山梨日日新聞社、YBS山梨放送等)などが中心に行った。
 しかし設立後チームは、J2リーグで毎年最下位と低迷、経営面でも4年間で4億円あまりの債務(資本金3億3500万円)を累積させる。そして2001シーズンを目前に、県民をも巻き込んだ「存続か解散か」の激しい議論が勃発した。そうしたさなか、主要株主からの再建要請を受け社長に就任したのが、海野一幸氏だった。


■存続条件“3点セット”


――クラブ再建で海野社長に白羽の矢が立ったのは、どういった経緯からですか。

海野一幸氏海野: 当時は、再建はまず無理だろうという声が大勢をしめていました。とはいえ、行政が税金を使って出資していますし、山梨県は世界的プレーヤーの中田英寿(韮崎高校出身)を育てたサッカーどころでもあるので簡単に潰すわけにはいかない。そこで主要株主間で申し合わせをして、8項目にわたる再建計画を出しました。そのなかに山日YBSグループからの人の派遣もあって、当時グループ企業の常務を務めていた私に声がかかった、ということです。いまだからいえるんですけど、株主関係者からは「可能なら立て直して欲しいが、半ば整理するつもりで…」といわれていました。

――再建計画では役員人事よりも存続条件である「3つの目標」が注目されていましたよね。

海野: いわゆる“3点セット”と呼ばれたもので、これが社長として私に課せられたノルマになりました。内容は、(1)広告収入5000万円、(2)一試合平均入場者数3000人、(3)サポーター会員数5000人を1年間で達成するというものです。それぞれの2000年の実績が、(1)が2558万円、(2)が1850人、(3)が2698人でしたから、つまり全部倍増させろということ。それができなければ“解散”というわけです。

――非常に高いハードルです。当時はチーム内からも「解散させるための理由づくりだ」と批判が出たとか…。

海野: 確かに厳しいですが、これは再建するための絶対条件だったんです。というのは、ヴァンフォーレは責任会社(親会社)を持っていないから。Jリーグクラブの多くは大企業の親会社がついていて、赤字が出た分を宣伝費などの名目で補填してもらう仕組みになっています。ところがうちは、自立経営で着実に黒字を出していかなければ債務が膨らむだけ。一時的には延命できても結局いつかは破綻してしまう。いわば、黒字化なくしては存続できないのです。
 黒字化するには収益源の強化を図るしかない。クラブ経営を支えるのは、観客動員、スポンサー収入、その他のテレビ放映料(リーグ一括管理で分配制)やグッズ収入です。つまり3点セットは、これら収益源強化の具体目標という位置づけだったのです。
 ただ、こう理屈では理解していてもプレッシャーは相当キツかったですね。正直、寝られない夜がいくつもありましたよ。

――誰もが無理だと捉えていたわけですが、目算は?

海野: 目算も何も…。第一サッカー自体よく分からなかったんですから。その頃はオフサイドルールすら知らなかった。経営者として、やるからには立て直したいという一心だけでした。

――それが初年度目標のみならず、その後も入場者数などすべてを右肩あがりに増やしてきた。いったいどんな方法を用いたのですか。

海野: そんな突飛なことはしていません。まずは着実に売上の見込める広告収入を増やさなければならない。そこで私ともう一人山日YBSグループから来た役員とプロパーの営業担当の3人で、県内企業に虱潰しに営業をかけました。

――潰れかけているクラブだったわけですから、支援を渋る企業も多かったのでは…。

海野: 私は地元マスコミの記者だったので、地域経済界にも人脈がありました。それで普通なら門前払いされるような方に、比較的容易に会えたのが大きかったと思います。そしてお会いできたら、地元にプロチームがあることの意義を訴えた。「山梨県に2週間に一度、何千人もの人が集まるようなイベントはないですよ」「家族や友人、お隣さんなどが、世代を超えて一つのチームを応援することで一体感も生まれます」と…。

――その努力が実り、再建初年度に「はくばく」(穀物製品製造会社)が胸スポンサーとなりました。

海野: 涙が出るほどうれしかったですね。ほかにも多くの企業に支援いただいた。そうした地元企業の方々の支えによって、広告収入を飛躍的に伸ばせたんです。
 もちろんただお願いするだけでなく、一方でいろんな工夫もしました。最も高額な胸スポンサーが4000万円、スタジアム内看板が160万円などといったように、広告料を他チームよりも低くし支援していただきやすくしました。また、広告媒体もいろいろ知恵を絞って増やしてきました。試合中に負傷した選手を運ぶ担架にまで広告があるのは、たぶん世界でもうちだけでしょう(笑)。これには地元の整形外科医院の名前が書かれています。


■地元交流で“草の根支援”を獲得


広告料と並んでクラブの大きな収入源となるのが、3点セット2つ目の入場者数だ。これを増やすには、チームが好成績を収めることが最も近道。だが、少ない運営費でチーム強化をしなければならないヴァンフォーレにとって、それは容易なことではなかった。海野社長は「チームと地元の親密度を高めることでファンを開拓していこうと考えた」と語る。

――赤字でチーム強化がままならないわけですから、入場者目標の達成は困難を極めたのでは?

海野: 一般企業で言うと、商品力を上げずに顧客を増やさないといけない状況でした。でも発想を変えれば別の道が見えてくる。思ったのは、“勝ち負け”の世界だけがすべてではないということ。もっと大事なのは、地域の多くの人たちから「ヴァンフォーレがなくなったら困る」と感じてもらうことだと考えたんです。地元に欠くことのできない存在になれれば、自ずと集客も増えると…。

――Jリーグの理念である「地域密着」ですね。

海野: とにかく地域にチームが歩み寄ることが大切。やっているのは泥臭いことなんですけど、例えば選手が町のイベントやお祭りに参加する、養護施設や小児病棟の慰問にうかがう、スポーツ少年団や幼稚園でサッカー教室を開く、そうした1ミリ、1センチの努力の積み重ねがあってはじめて地域に受け入れてもらえるようになる。
 選手は2ヵ月のオフをとりますから、1年間で40数週。昨年はその期間に88回のイベントを行いました。そこで親しみを持っていただければ、「ゲームを見に行こう」という方も増えてくる。

――ただ地道な活動だけに短期間では成果が上がらないのでは。

海野: 都会ならそうかも知れませんが、甲府は田舎ですから(笑)。山梨県全体でも人口は約88万人、甲府市は約19万人。市場が小さい分あまり時間はかからない。
 さらに、各方面と人間関係ができてくると、「草の根ベースの支援」までいただけるようになってきた。「お金は出せないけど別のかたちで支援したい」という人が次々現れてきたんです。一例を挙げると、うちが選手の激励会を開くときは、料理と会場を地元の料理屋さんが全部無料で提供してくださる。選手とスタッフで総勢40人くらいが飲み食いして、最後に監督のお礼の挨拶と選手全員のサインが入ったボールやユニフォームを店主の方へ贈呈する。対価はそれだけです。最近は「ウチもウチも」とそうした店がどんどん増えてきていて、だいたい3週間に一度は激励会を開いています(笑)。

――無料でお腹一杯食べられて、しかもファンにまでなってもらえる。まさに一石二鳥ですね。

海野: サインボールやユニフォームを店内に飾ってもらえれば、それがチームの宣伝にもなりますからもっとですね。
 ほかにも、パン屋さんや八百屋さんが選手寮にパンやフルーツを持ってきてくれるし、健康ランドは会員証を発行してくれる。中古車販売店は中古車を、清掃会社は試合が終わった後のスタジアム清掃を、クリーニング屋さんはユニフォームのクリーニングを、すべて無料で提供してくれています。

――凄い数の現物支援! それだけで相当経費が浮きますね。

海野: ありがたいことです。もっとおもしろいのは、支援してくださる企業同士に横のつながりも生まれてきたことです。試合運営をお手伝いいただいているボランティアへの食事は、お米屋さんがご飯を出し、海苔屋さんが海苔を出し、最後におにぎり屋さんがおにぎりにして配っています。

――ちゃんとサプライチェーンになっている(笑)。

海野: もちろん支援を受けっぱなしでは申し訳ないので、半期に一度山梨日日新聞の一面広告を買い取って「多くのご支援ありがとうございます」とコメントを入れて、スポンサー企業やご支援いただいている企業の名前をすべて掲載しています。新聞社は主要株主である山日YBSグループですから、掲載料をずいぶんと勉強してもらっていますけど…(笑)。
 地元メディアがついているのは当クラブの数少ない強みのひとつでしょうね。地元企業が何か支援してくれると、それをいつも記事として取り上げてくれています。このことが、いくらかでもサポートしてくれる企業のイメージアップに繋がればと思っています。

――ここまで地元に根付いていると、3つ目の目標であるサポーター会員数も自然と増えますね。

海野: 会員にはいろいろ特典を付けていますが、目標を達成できた一番の要因は、やはり地域密着に成功したからたと感じますね。


■率先垂範で諦めムードを払拭


こうして3点セットをすべてクリアした海野社長。そのアイデアマンぶりは、興業の企画立案でも存分に発揮されている。昨年のアルビレックス新潟(現J1)との一戦では、隣県長野のスタジアムをホームに、「平成の川中島決戦」と銘打って試合を行った。前座で新潟の上杉謙信、山梨の武田信玄それぞれの保存会による鎧武者合戦も繰り広げられ、両チームのサポーターを大いに沸かせた。
 これら数々の斬新な発想を生み出すもとが、同社長の“人間力”。クラブのマネジメント面でも、それはかいま見ることができる。

――先ほどお茶を運んでくれた女性社員の方が「私は海野イズムの継承者のひとり」と話してくれました。再生できたのは社員の力も大きかったのではないですか。

海野: まったくその通りですね。社長になって最初に驚いたのは、無駄な経費がほとんどないことでした。企業再建というと経費削減を思い浮かべますが、その点は本当にきっちりしていた。それだけクラブを存続させるために一所懸命やってきていたということです。

――ただ解散確実とまで言われていたわけですから、どうしても士気は低下していたのでは…。

海野: 諦めムードはあったかもしれませんね。だから私が率先垂範で動いて、小さなことでもいいから結果を出すようにしました。その意味では、早い段階にスポンサーを獲得できたのは大きかった。
 やはり、苦しいときこそトップが矢面に立たないとダメなんですね。就任してまもなくチームが4対0で負けて、怒ったサポーターがチームのバスを取り囲んだときがありました。そのときも私が出て行って「負けて悔しいという一時の感情で騒いでもクラブは良くならない。今は再建中だから我慢してくれ」と説得しました。

――社長自らが泥をかぶって、再建への気概を示した。

海野: そんな格好いいものじゃないですよ(笑)。ただ、フロントが一体になると相乗効果が生まれるというのは実感しています。人材面では、今年、アルバイトだった国立大生がスタッフとしてクラブに就職してくれましたし、選手のセレクションでも「甲府は家族的で環境がいい」といって600人くらい応募があるんです。
 地域、ファン、現場とフロントを含めたスタッフと信頼関係を築けたことで、ここまでこれたと思っています。

ヴァンフォーレ甲府のサポーター達は、加山雄三の『海、その愛』のメロディーで「海野、俺の海野」と歌う。“海野イズム”がクラブ内に留まらずファンやサポーターにまで浸透してきたことの証左といえるだろう。
 7月11日現在、ヴァンフォーレはJ2リーグ3位と、J1昇格を狙える順位に位置している。

(インタビュー・構成/本誌・千葉博文)


〈プロフィール〉

うみの・かずゆき 1946(昭和21)年1月1日、山梨県生まれ。68年東京農業大学卒業。70年山梨日日新聞社入社。同社取締役編集局長(89年)、山梨放送取締役(91年)、アドブレーン常務(97年)を経て、2001年ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ社長に就任。今年7月には、その手腕を見込まれJ2クラブから唯一のJリーグ理事会メンバー監事に選任される。