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深みのある独特の風合いが美しい漆製品。しかし取り扱いの難しさなどからその利用は減る一方だ。この流れに一矢報いるべく生み出されたのが「MR漆」である。開発グループの1社である佐藤喜代松商店は、この革新的な漆で伝統産業の復活に取り組んでいる。
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英語の「Japan」には、「日本」以外に「漆器」という意味がある。古来より日本人は、食器、家具、仏壇・仏具から織物、建築物など、ありとあらゆる用途に漆を用いてきた。そのしっとりとして柔らかな肌触りや深みのある光沢は日本のみならず欧米でも評価が高く、また天然塗料であるため環境や健康への影響が少ないといった長所もある。
日本での漆の歴史は、実に9000年前の縄文時代にまで遡る。まさに日本が世界に誇る伝統技術といえるだろう。しかし戦後、漆を利用する場は減少の一途をたどってきた。今では、漆製品がまったくない家庭も珍しくはない。
こうした危機的状況を一変させる可能性を秘めた漆がある。京都の漆精製業者・佐藤喜代松商店を中心とした企業グループが、共同で開発した「MR−III・雅」(MR漆)がそれだ。これは従来の漆の常識をことごとく打ち破ったもので、2003年には財団法人京都市中小企業支援センターが主催する企業価値創出支援制度「VCプランオーディション」のオスカー認定も受賞している。
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■漆と無縁の異業種から引き合いが殺到
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MR漆の革新性を如実に物語るのが、佐藤喜代松商店の車庫にある「日産ステージア」。飴色に輝く車体を間近で見ると、微妙にムラのある独特の風合いが見てとれる。日本で2台しかない漆塗りされた自動車だ。
「漆にとっての一番の敵は紫外線です。従来の漆は屋外に置いておくと一夏で艶が落ち白化してしまった。この車は2003年6月にMR−IIIを吹き付け塗装したものですが、2年経った今でもちゃんと光沢のある状態を保っています」
同社の4代目で研究開発や販売企画を受け持つ佐藤貴彦取締役は、こう言って胸を張る。
漆産業が衰退してきた最大の要因は、合成塗料などと比べて取り扱いが難しいことにあった。製造する側から見ると、かぶれやすく常温多湿でないと固まりにくいといった性質があり塗装には特殊な技術が必要。そのため漆製品は、職人が一つひとつ手がける伝統産業の分野のみにとどまってきた。
また消費者側も、熱や紫外線に弱く劣化しやすいため、細やかな注意を払いながら使わなければならない。漆塗りの座卓に熱い湯飲みを直接置いてしまい、白く丸い跡をつけてしまった経験のある人は少なくないだろう。このように「熱を加えない」「日光に当てない」などいくつもの制約があるため、漆器を所有している家庭でもほとんどは普段使いせず、盆正月といったハレの日だけ利用するというのが一般的な光景だ。
MR漆では、こうした耐候性、かぶれ、硬化乾燥条件といった今まで用途を限定させてきた欠点をすべて改良した。
短所を克服すれば、当然、汎用性は高まる。たとえば福井県鯖江市では、昨年1月からMR漆が塗られた食器が学校給食で使われるようになった。業務用の食器洗浄機や乾燥機が問題なく使えることで、採用されたのだ。同じものが現在、「食器洗浄機対応漆器」として一部の有名百貨店でも販売されている。
さらに同社は、昨年秋に漆塗りのフローリング材を開発し建築分野にも進出。建築関係では神社仏閣などの歴史建造物の修繕だけでなく、一般の商業店舗全体を漆塗装するといった案件も手がけた。
また、以前なら漆が利用されることのなかった分野の掘り起こしにも成功する。「車に塗装したことで自動車メーカーから問い合わせがくるなど、異業種からの引き合いが増えたのです」と佐藤取締役はいう。これまでに引き合いがあった業種は、家電、自動車、塗料メーカー、アパレル関係等々。そうした企業の数は、2年間で100件近くに上っている。
異業種ですでに商品化された例では、昨年9月に神戸市の老舗靴メーカー・カワノと共同で開発したミール(サンダル風の婦人靴)がある。これにはヒール部分に漆塗りと紅葉などの蒔絵が施されている。欧州など海外にも販売を広げる予定だという。
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■「3本ロールミル」製法糸口に15年の歳月をかけて開発
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このように漆業界で大きな反響を呼んでいるMR漆であるが、その開発の過程はけっして平坦なものではなかった。
開発がスタートしたのは、1985年頃。京都市工業試験場塗装技術研究室(現・京都市産業技術研究所工芸材料チーム)、大阪の顔料メーカー・日華化成等との共同プロジェクトだった。佐藤取締役は「漆の性質を変えるには、従来の精製法を根本的に見直す必要があった」と語る。
漆の精製は、まず漆の木から樹液(荒味漆)を採取し、これを濾過して木屑やゴミを取り除き生漆を得る。生漆中には、主成分であるウルシオールが約60%、水分約30%、その他ゴム質(水溶性多糖類)、含窒素物(糖タンパク)が各数%と、ごく少量の酵素ラッカーゼが含まれる。この生漆の水分を3%程度までに減少させたものが精製漆だ。
精製漆を下地に塗り、それが乾燥硬化して漆器などになるが、ここでは酵素ラッカーゼが作用する。ウルシオールと大気中の水分から取り込まれた酸素との結合反応によって硬化が起こる。
これまでの精製法では、直径1.5メートルほどの木製の桶に生漆を入れ、上部より電熱線で加熱しながら「腕木」と呼ばれる木べらで4〜6時間ほどかき混ぜ脱水していた。しかしこれでは、長時間にわたって加熱・脱水されることで酵素ラッカーゼの何割かが失活してしまい、そのため硬化させるには高い湿度と大変長い時間が必要となっていた。それが漆塗装の作業性の悪さを生んでいたのである。
さらに木べらで攪拌するだけでは、ゴム質などの水溶性成分がウルシオール内で細かく分散されない。乾燥硬化した塗膜に紫外線があたると表面のウルシオールが分解され、それが雨などで流されてしまう。同時に分散せずに粒状の固まりとなっていたゴム質なども剥がれてしまい、塗膜表面にでこぼこができる。これによって急速に光沢が失われてしまうわけだ(図1参照)。熱湯を入れると白く変色してしまうのも、同じように塗膜中の水溶性成分が熱で溶出してしまうからである。
対してMR漆は、ゴム質などの含有成分が極めて細かい粒子で分散されているので、紫外線の影響で塗膜が剥がれても表面の平滑性は保たれ、その分見た目の光沢が長持ちする。耐熱性でも、1時間煮沸しても変色しないという試験結果が出ている。
「つまり精製段階でいかに熱を加えずに脱水し、かつゴム質を小さな粒子にして分散させるかが鍵だったのです。その解決の糸口となったのが、3本ロールミルでの脱水・攪拌実験(図2)でした。3本ロールミルは塗料、顔料、印刷インキ等の練合分散で広く使われているもの。漆でも従来から顔料の練合せで使われていましたので、精製にも利用できるのではないかという仮説が立てられました」
これがずばり的中する。3本のロールの隙間に生漆を通過させることで加熱せず脱水することに成功。酵素ラッカーゼの活性が失われず硬化条件が大幅に改善した。攪拌効果でも、ゴム質をウルシオール中に極めて微細な粒子状で分散させることができた。これがMR漆の第1世代となった。
ただこの成功は、あくまでも一つの足がかり。開発の第2段階は、実験室での成果を製造現場に移転し、量産体制を確立することだ。ここではロール材質の変更や最適な生漆の選定などで試行錯誤が繰り返された。そうして89年、プロトタイプである第2世代の完成へと漕ぎ着く。この成果によって91年には、特許も取得することができた。
最終製品として上市したのは98年だった。第3世代ということで、名称はMR−IIIとした。微量のタンパク質を加えることで、第2世代と比較して硬化乾燥条件の緩和やかぶれの軽減などで一層の改善(99年に特許を取得)が施されている。
「MR−IIIでは、湿度60%、温度20度Cという従来の漆では1日かけても乾かないような厳しい条件下で、わずか4〜6時間で乾燥するまでになっています。ここにいたって従来の漆の課題はほぼすべてクリアできました。もちろん精製工程における脱水と攪拌の仕方が違うだけなので、漆独特の風合いなどは従来のものと比べて一切遜色はありません」
このように開発スタートから完成までに、実に15年近い年月を要したのである。
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■“伝統の壁”を突き崩した前代未聞の漆塗り自動車
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MR漆は、漆製品を利用する消費者にとっていいことずくめの漆といえる。ところが当初、漆製品の製造業者など取引先の反応は、実に冷ややかなものだったという。
「使ってくれたのは、本当にごく一部の漆器屋さんだけでした。ほかには見向きもされないという状態。伝統産業である漆業界では、4、500年の歴史のある業者の方々がざらにいます。それだけに昔ながらの方法に誇りをもっていて、新しい漆に対して拒否反応を示されたのです」
これを旧弊の一言でかたづけることはできない。職人の世界では、ほんのわずかな差異が仕事の仕上がりを大きく左右するもの。それだけに乾きやすいなどといったMR漆の特徴が、製造業者の目には逆に欠陥として映った。
従来の漆からMR漆へと原料を代えるためには、新規の設備投資が必要になることも評価を下げる一因だった。漆製品は通常、漆室と呼ばれる温度20度C、湿度7、80%に調節された特殊な木製の棚で乾燥させる。だがこれをそのままMR漆に使うと乾くスピードが速すぎてしまう。そこで別途新たな漆室を設けなければならないのだ。常識的に言って、海のものとも山のものともつかない原料のために、そこまでしようとはなかなか思えないだろう。冷ややかな反応はある意味当然といえる。
佐藤喜代松商店をはじめとする開発メンバー各社は、あくまでも塗料メーカー。これを使ってくれる製造業者がいなければ、MR漆が日の目を見ることはない。だが同社の眼前に立ちはだかる恣`統の壁揩ヘ、とても正攻法で突き崩せるほどヤワではなかった。そこで佐藤取締役は一計を案じる。
「こちらから売り込みに行っても門前払いが関の山。ならば発想を転換して向こうから来てもらうようにすればいい。そのために何かインパクトのあることをやろうと思い立ったのです」
それが車に漆を塗ることだった。最初はスポイラーだけを漆塗りし3年ほど実走。その後、産業技術研究所の協力を得て、冒頭記したように全塗装を施す。塗装を引き受けてくれたのは、富山県高岡市で漆精製業と自動車板金塗装業の両方を営む昭和自動車だった。
「なぜ自動車だったかといえば、漆にとってもっとも過酷な使用条件だったから。一年中太陽の紫外線や雨にさらされ、もの凄い高熱にもなる。漆塗装のタブーが全部そろっているのです」
この前代未聞の挑戦が、目論見通り大当たりする。高岡市で行われた完成発表会には、新聞5社、テレビ2局が取材につめかけ、一斉にMR漆を紹介したのだ。これを機に状況は一変。同社には全国から問い合わせが殺到し、自動車をはじめとした上場企業も次々と来社するようになった。
MR漆が漆業界を超えて広く注目を集めるようになったことで、漆製品業者も無視はできない。いまでは地場漆産業の振興に役立てようという前向きな動きがあいつで現れてきており、全国の漆業組合からも頻繁に製品説明を求められるようになった。そのたびに佐藤取締役は、漆塗りのステージアで飛び回っている。
もう1台の漆塗り自動車は、日華化成が所有する「ボルボ」。この2台はMR漆の卓越した機能を示す製品見本として、文字通りの“宣伝カー”となっている。
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■漆の正しい知識広め需要拡大に取り組む
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漆という塗料の潜在需要を着実に掘り起こしつつあるMR漆。とはいえ、今後も乗り越えるべきハードルは多いと佐藤取締役はいう。
「いまだに漆に対する誤解が一般の方の中に多くあります。たとえば『漆器を水につけてはいけない』といわれますが、これは欠けたり穴が開いたりしたところから木地が水を吸い込み膨らむことで漆の塗膜にヒビが入るから。本来乾いている漆は水に強く、あまり神経質になることはないんです。新たな需要を喚起させるには、そうしたこれまでの負のイメージを一つひとつ変えていくことが必要になると捉えています」
国内の漆需要は100トンにも満たない。まずは漆の正しい知識を広め、一人でも多くの消費者に実際に製品を手にとってもらうことが先決となる。
加えて工業製品分野にまで用途を広げるためには、下地の前処理加工などに改良の余地が残されている。いまはサンプル製品の開発がほとんどで、こちらのほうもやっと緒についたところだ。
「やるべきことはたくさんありますが、その先は夢が膨らんでいます。漆の市場は小さい。しかし裏返せばそれだけ需要拡大の可能性が残されているのです」
今のところ同社の年商に占めるMR漆の割合は1割程度。これが2割、3割と増え、さらに売上全体が拡大して行けば…。そうなったとき日本の漆産業もまた、見事な復活を遂げているに違いない。
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(取材協力・篠田経営/本誌・千葉博文) |
| 会社概要 ◎株式会社佐藤喜代松商店 |
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| ■代表者 |
佐藤 豊 |
| ■業 種 |
漆精製販売・捺染スクリーン資料販売 |
| ■設 立 |
1949(昭和24)年10月 |
| ■所在地 |
京都府京都市北区平野宮西町105番地 |
| ■TEL |
075-461-9120 |
| ■売上高 |
2億円 |
| ■社員数 |
5名 |
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