《 戦経インタビュー 》
俳優 滝田栄氏に聞く
映画『不撓不屈』が教える
“男の生き方”とは



 一人の税理士と国家権力が日本経済史上希有の対立を展開した実話に基づく物語『不撓不屈』が、映画となってスクリーンに登場した。角川ヘラルド映画配給による全国一斉ロードショー公開を前に、主役を演じた俳優の滝田栄氏に、同作品の監修を担当したTKC会計人、寺田昭男税理士が聞いた。

 

滝田栄氏■坐禅の深さが違うだから堂々としていた

――映画『不撓不屈』は6月17日から全国でロードショー公開されますが、試写を観た関係者の間からは「ベストキャストだね」という賞賛の声が早くも聞こえてきています。主役を演じた滝田さんの評価は特に高い。出演を引き受けられた経緯からまずお聞かせ願えませんか。

滝田 僕は作品に出演させていただくかどうかは本(シナリオ)を読んだうえで決めるようにしています。だからまず読ませていただいたわけですが、心の深いところで何かがブンブン共鳴しました。驚いたのは、この事件が国家権力と一個人の闘争劇であることです。それを飯塚さんは、およそ信じがたい不屈の精神で闘い抜いて完全勝利する。シナリオにはそんな奇跡をおこした男の半生が人間愛の視座から描いてありました。大変なドラマだし、とにかく主役のキャラクターが強烈でした。

――いわゆる「飯塚事件」は、飯塚毅税理士が「税理士業務は法律業務である」と位置づけたことが原因となって生じ、「法律業務であることに徹した」ゆえに無罪判決を勝ち取ることができ、同時に国税当局に、租税法律主義に立脚した近代的かつ合理的な税務行政への転換を促した事件です。事件後、夫人に「降りかかった火の粉を振り払っただけだよ」と淡々と語っていたそうですが、その勇気と信念はわれわれに進むべき方向性を示し、誇り高く生きることを思い起こさせました。

滝田 僕も飯塚さんの勇気と信念、それとやはり男としての圧倒的な生き方に引き込まれました。

――ニューヨークのアクターズ・スタジオの創設者、ジェームズ・リプトンが著名な俳優にインタビューするテレビ番組があります。

滝田 ええ。NHKの衛星放送でやっていますね。

――あの番組で俳優にその役を受けた理由を聞くと、シナリオがよかったからとか、主人公が魅力的だった、制作者や監督に口説かれた、あるいはギャラが魅力的だったというように、いろいろな答えが返ってきます。

滝田 僕の場合はシナリオもすばらしかったし、主人公の魅力というか、とにかく絶対にやってみたいキャラクターでした。若い頃、なぜ芝居がやりたいのかを真剣に考えたことがありました。有名になりたいのか、お金が欲しいのか、ちやほやされたいのか…と。そうではなく、やはりお客さんと感動を分かちあえるような仕事がしたい。「生きていてよかった、人間てすばらしいな」と、人生を肯定できるような作品ですね。お陰さまでその後、NHKの大河ドラマで徳川家康を演じ、帝国劇場のミュージカル『レ・ミゼラブル』ではジャン・バルジャンを16年にわたって演じさせていただきました。

――16年やったんですか。あの『レ・ミゼラブル』は。

滝田 ええ。ステージは1000回を超えました。ところが、それ以降、心の底から演じたい人物というか、仕事になかなか出会えなかった。そんなときに、今回の『不撓不屈』の飯塚さんの話をうかがったわけです。だから本を読んで、僕はすぐにドイツ語のトレーニングを始めました。映画の最後に飯塚さんがドイツの提携会計センターでの記念講演で、ドイツ語でスピーチするシーンがありますね。これはもう理屈抜きにドイツ語をマスターしなければいけないと…。

――当然、高杉良さんの原作もお読みになった。

滝田 はい。監督によっては、シナリオレベルにとどめ、それ以上の余計な勉強はしないでくれといわれるケースもあります。僕はそれが嫌で、自分の演じる人物がどういう人間なのかもうマニアックに知りたくなる方なんですね。特にその人を動かしたエネルギーの質というか、人生を動かした一番大きな根本力みたいなものが何なのかを知りたい。それさえわかれば、後はもう寝ていようが、歩いていようが、何をしていてもその人でいられるという、これは僕自身のひとつの確信ですね。

――『徳川家康』のときには、役どころをつかむために26巻ある山岡荘八の原作をすべて読み、幼年期の家康が人質として預けられた臨済宗のお寺に数週間こもったそうですね。

滝田 家康のときは人物をつかむのに本当に苦労しました。信長や秀吉はある程度想像できても、家康の場合、どういう心がその人生を動かしたのかがどうしてもわからない。原作とシナリオには、幼年期の竹千代時代に今川家の人質として預けられていた臨済寺で太原雪斎禅師に軍学を学んだとあるのですが、今川家の参謀ともいえる人物が敵方の人質に戦のしかたを教えるだろうかという疑問もあった。考えあぐねた末、わらをもすがる思いで臨済寺を訪ねたわけです。結果、見事にと自分でいうのもおかしいんですが、家康の根本力を見つけました。

――ほーっ。それはどういうものだったのですか。

滝田 臨済寺は臨済宗の和尚を養成する寺で、山門のなかにはぴちっと張りつめた空気があり、400年以上前の竹千代の時代と何も変わっていないという感じでした。ところが、その空間に身をおき原作を読み返しても、やはりわからないんですね。もうどこかに消えてしまいたい心境でした。
 そんなときに寺の長老の倉内松堂老師という方が「たまには息抜きにお茶でもどうですかな」と呼んでくださって、1枚の掛け軸を見せてくれました。小さな涅槃図で、亡くなられたお釈迦様を囲み人間も動物も昆虫も生きとし生けるものが、天界の神々までが涙を流している絵ですね。そして「恐らく太原雪斎禅師は竹千代にこれを示し、お前は仏陀のごとくすべてのものに慕われるような武将になれと教えたのだと思うが、いかがか」と来たわけです。ああっ、と思った。だから家康は戦国の世を終わらせることができたのだと。
 倉内老師のその一言ですべてが氷解しました。

――なるほど。いいお話ですね。

滝田 まだ若かった僕は人の苦しみや悲しみなんてものに思いがいたっていなかったのですね。恰好よく見せてやろうという思いが全身を支配していて、人間のドラマであるということがどこかに飛んでしまっていた。でもこれで1年間家康をつとめることができると思い、その日のうちに下山し撮影に入りました。
 今回の『不撓不屈』でも、飯塚さんを演じるにはその根本力が何であるかをつかむ必要がありました。それがなければ国家権力を相手に一歩も怯ます、あれほど雄々しく闘うことはできませんからね。だからシナリオも読み込んだし、原作も何度も読み返しました。

――どのようにしてそれを探り当てたのでしょう。

滝田 実はそのことについて森川監督と話しているときに、飯塚さんが坐禅をかなりやっておられたらしいと聞いたことがありました。ただ僕もまねごとですが長年坐禅をやってきたこともあって、飯塚さんのはいわゆる経営者のやる坐禅で、まあそこそこなんだろうなと勝手に想像した。甘くみたわけです(笑)。で、もっと核心に触れる手がかりはないかと探しているときに寺田さんからいただいたのが『自己探求』(TKC出版)という本でした。飯塚さんご自身の体験をもとに日常生活と禅の接点を説いた第一級の人生論で、これを読んで初めてそういうことだったのかと理解しました。坐禅の深さが違います。それによって培った人生観だからこそ迷いや恐れの心がなく、あれほどまでに堂々としていたのだと。飯塚さんの魂の核を見た思いがしました。
 

■聴衆役のエキストラが涙を流し拍手をしながら立ち上がってくれた
 

――こういう飯塚毅像を演じてくれという、監督からの具体的な指示は。

滝田 全くなかったですね。おかしなことがあったら僕がいうから好きなようにやってみてくれということで。だから飯塚さんの人生観から肉体の感覚までも体現するつもりで、ワンカット、ワンカット、集中して、集中して…。

――映画では飯塚毅という人物の強さや迫力だけでなく、優しさが実にうまく表現されていました。意識して演じたのですか。

滝田 いやいや、僕は芝居をするときに、芝居をしようという気は全部捨てています。例えば、ほんとうは辛いんだけど笑っていなければいけないというシチュエーションで、悲しさや辛さがないのにそれっぽく悲しい顔をしたりすると、安っぽい嘘の芝居になってしまいます。僕は逆で、その人をその場で動かしている一番深いところのエネルギーというか、気持を探り当てて、そこに集中する。それさえできれば真実は確実に伝わると思うんです。

寺田昭男税理士――先ほど、シナリオを読んですぐドイツ語のトレーニングを始めたとおっしゃっていましたが、あのシーンもすごいなと思いました。

滝田 あのスピーチの中には飯塚さんを表現するヒントがずいぶんありました。考え方や人生観といったあらゆるものがスピーチに込められているわけです。「人間の成熟なくして、税務の成熟はない」というのはまさにそうです。あるいは「バートランド・ラッセルは、人間の生き様には『所有への衝動』に生きるか『創造への衝動』に生きるかの2原型があるが、人類至福の生き様は『創造の衝動』にあるとし、彼自身もそのように生きた」と話している。これなどは飯塚さんの人生観そのものだと思います。だから、これをとにかく完璧にこなさなければ飯塚さんを正確に伝えることはできないと考えたのです。当然、ドイツ語のトレーニングも力が入りました。

――かなり長いスピーチですが、どんなふうにして覚えたのですか。

滝田 ドイツ語は全く初めてだし、「こんにちは」も「さよなら」も知りませんでした。だから慶応のドイツ人の女性の先生にそれこそアー・ベー・ツェーの発音からレッスンを受けた。あとはスピーチの言葉を一語一句正確に録音してもらって丸暗記です。繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し…です。
 で、あるとき知り合いのドイツ人の女性に会う機会があったので、丸暗記したものを聞いてもらいました。すると「こんな高度で難しいドイツ語、聞いたことがない」と。「それにしてもすごい。どうやって覚えた?」というから、生活がかかっているからねと(笑)。

――いや、ほんとうにすごいですよ。ドイツ語の予告編を見たドイツの会計人も完璧だといってたそうです。

滝田 「やったぞ」と思ったのは、そのシーンをドイツのミュンヘンで撮影したときです。私のスピーチが終わると、聴衆役をつとめたエキストラの大半の方々がほんとうに涙を流し拍手しながら立ち上がってくれました。スタンディングオベーションですよね。感激しました。困ったのは共演の松坂慶子さんです。「ねえ、滝田さん。ドイツ語でさよならって何ていうの?」というから、「松坂さん、お願いだからセリフ以外のことを聞かないで。僕、何も知りませんから」と(笑)。
 

■ほんとうに命がけでやれば答えが出るし表現もできる


――今回、松坂慶子さんは主人公の妻・るな子夫人の役を演じました。共演したのは今回が初めてですか。

滝田 実は松坂さんには昔、『草燃ゆる』という大河ドラマで僕の娘役をやってもらったことがあるんです。僕の演じた伊東十郎祐之がどこかの川のほとりに捨てられていた小娘をひろって、『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンがコゼットを育てるように、なぜかこの子を大切に育てあげる。その娘が松坂さんでした。若き日の(笑)。

――今もお若いんですが、どれくらい前の話ですか(笑)。

滝田 27、8年前ですね。もう彼女がバリバリのときです。

――今回の映画では非常に控えめでいて、いざというときには凛とする姿をみせていました。

滝田 まさに、るな子さんです。あの役、普通の女優さんにはできないですよ。例えば、無罪判決の知らせを受け、重く長かった事件を回想しながら「薔薇の冠」をつくり、帰宅した夫に捧げるシーンがありますね。感動的なシーンですが、ひとつ間違ったら漫画になっちゃう場面です。それを気負うことなく普通に演じきっていた。

――ええ。見事に演じていました。

滝田 るな子夫人の命、エネルギーの深いところをしっかりとらえて、ふわっとやっていましたよね。

――主人公と対立する官僚、いってみれば敵役を演じたのが三田村邦彦さんでした。

滝田 彼とは『必殺仕事人』を一緒にやった仲です。三田村君が「秀」というキャラクターで、僕は「朝右衛門」でした。

――憎らしいほどに役になりきっていました。

滝田 おもしろかったですねえ。素顔の彼は非常に真っ直ぐな人で、どうやってあの屈折した人間を演じてくるのかなと思っていたら、もうなりきって楽しんでいましたね。僕をいじめて(笑)。

――あの眼技でエリート官僚の凄みを表現していました。それに対し滝田さんが、非常に透明性のある明瞭な台詞回しでぴしっと切り返していくわけですね。

滝田 あの場合、フォルテシモでのやり合いならば結構できてしまうものなんです。でも相手はお偉い役人で、どんなにいびられても激しくは言い返せない立場にある。だからものすごい火花の散る激しいやりとりなんですが、ピアニシモでの闘いにならざるをえない。演じる側にとってはかなり難しい場面です。

――滝田さんご自身が、ここだけは完璧に演じきったと思うシーンは?

滝田 やはり、長男の真玄青年から手紙をもらうシーンですね。本を読んだときにもう涙がとまらなくなりました。

――検察の追求を逃れホテルで逃亡生活をおくっていた主人公が、父への思いを綴った手紙を息子から渡される場面ですね。さっきの「薔薇の冠」が夫婦の愛ならば、これは親子の絆の深さを象徴するシーンです。

滝田 家族のあの深い絆があったからこそ、あれだけの事件にぶつかっても頑張れたのだと思います。

――ああいう感情が激するシーンというのは…。

滝田 俳優にとってはとらえやすい。でもドラマとして考えた場合には、ひとつの大きな山場です。だから本当にそういう状況に自分を追い込んで、1回で決めたかった。その思いでいたら、森川監督が本番の前にカメラマン、照明、音響さんも全スタッフ集めて「本番は1回だよ」と。「1回ね。撮り直しなしよ。スタッフのNGは絶対だめだよ」と。

――それまでに、真玄役の永岡佑君のテストを繰り返しやっておいて…。

滝田 そう。やっておいて、「本番は1回だよ」と。以心伝心ですね。だから、最高に集中したなかで、飯塚さんと真玄青年の対面シーンが再現できました。

――それにしても、皆さんすごい。

滝田 今回やって、僕も久しぶりにそう思いました。松坂さんも、三田村君も、夏八木勲さんも、みんな本気の本気で、しかも楽しんでいた。

――ところで、滝田さんにとって“演じる”ということは何ですか。

滝田 まだ若かった頃、演出家の和田勉さんに「滝田君にとって芝居をするのはどういうこと?」と聞かれたので、「ひたすら本気で真剣に突っ込んでいくこと」と答えたのを覚えています。和田さんには「宗教みたいだね」といわれました。
 僕がそう答えたのは、その少し前に、狂言の6世・野村萬蔵さんが若いときにどうしても思うように演技できなくて、今日うまくいかなかったら腹を切って死ぬつもりで、短刀を袖に置き舞台に出たという話を耳にしたからです。当時、僕はまだ文学座の養成所に入ったばかりで、何をやってもうまくいかず落ち込んでいた。だから役者というのはそこまでやるのかと、バチーンというショックをもらいました。

――ある意味、禅に似ていますね。

滝田 そうなんです。本当に命がけでやったときに答が出るし、表現もできるわけです。


■人間としていかに成長するかを映画からくみ取ってほしい


――抜刀術、仏像彫刻、料理と多彩な趣味を持つ一方で、インドに行っていた時期があるそうですね。

滝田 南インドのアンダラプラデッシュという州に2年間行っていました。『レ・ミゼラブル』は、ご存じのように司教との出会いをきっかけに心を入れかえ、よく生きようと決意する青年の物語です。生まれ変わるんだという男の絶叫が物語のテーマになっている。ところがあるとき、ジャン・バルジャンを演じているこの僕自身は人としてどうなんだろうと考えた。足りないところばかりでした。以来、いつかお寺に入って心ゆくまで自分と正対してみたいと考えるようになったわけです。

――あの頃、たしか『料理バンザイ!』という番組で司会をやっていました。

滝田 ええ。僕がジャン・バルジャンの役を若い人に交代したのは50歳のときでしたが、その少し前、『料理バンザイ!』の司会をやってちょうど20年目の記念日にスポンサーが事件を起こし、番組そのものがぶっ飛んでしまいました。そのとき僕はチャンスだと思った。だから最後の『レ・ミゼラブル』の公演が終わって出演者たちと乾杯し、その翌日にはインドへ旅立ちました。そのまま2年間、日本には帰りませんでした。

――なるほど。この映画を通して、滝田さんご自身、何か学ばれたことはありましたか?

滝田 何より勇気をもらいました。今の日本はかなりおかしなことになっています。お金のためなら何でもやってしまう人たち、それが当たり前のようにまかり通る社会…。端然とした人生をおくった人間の映画なんていうのは必要とされていないのかもしれないという、ある種の絶望感が僕の中にありました。そういうときに飯塚さんにお会いできたわけですから、心の底から勇気がわいてきました。
 ある意味、「呼ばれたかな」という感じもしています。いい仕事をやらせてもらったときには、そのキャラクターから呼ばれたという気がするんですよ。家康のときもそうだったし、ジャン・バルジャンもそうでした。『マリコ』というドラマで太平洋戦争が起こるのを防ごうとした外交官、寺崎英成を演じたときにも「呼ばれたな」と。何か心の深いところで響き合うんですね。今回、久しぶりにそういう出会いができたと思っています。

――最後に、本誌読者の企業経営者に映画『不撓不屈』をどんなふうに観てほしいですか。

滝田 それはもう飯塚さんのメッセージそのもので、とにかく人間として成長しなければいけないということ。「人間の成熟なくして、税務の成熟はあり得ない」といっているように、何をやるにしてもそれが一番基本なんだといっているわけですね。国家権力を相手に闘い抜いた飯塚さんの生き方から、それをくみ取ってもらえたら嬉しいですね。お金のためなら何でも曲げて、歪めることが当たり前になりつつある世の中で、これはほんとうに大事なことです。僕も俳優である前に、1人の人間として自分をもっと鍛え上げていかなければならないと思っています。

 

(インタビュー・構成/本誌・坂本 茂)


滝田栄(たきた・さかえ)氏プロフィール

1950(昭和25)年千葉県生まれ。中央大学仏文科を中退し、文学座養成所から劇団四季を経て独立、現在にいたる。TVでは『草燃ゆる』『徳川家康』『マリコ』など多数出演。舞台は、『レ・ミゼラブル』の主演ジャン・バルジャンを初演以来16年つとめた。仏像彫刻や陶芸、料理など、趣味多彩。抜刀術は4段の実力。


 
本格経済小説の旗手、高杉良の『不撓不屈』が待望の映画に!

 昭和38年11月。飯塚会計事務所とその関与先企業に対して、国税当局による税務調査が一斉に始まる。税理士・飯塚毅が「法人税基本通達265」(当時)を根拠として関与先に指導した「別段賞与」が脱税慫慂の嫌疑を受けての調査だった。とまどう職員、おびえる関与先。「別段賞与は税法上何の問題もない」との飯塚所長の一言にうなずく職員たち。しかし、これは7年にわたる裁判にまで発展する事件のほんの序章にすぎなかった。後に「飯塚事件」と呼ばれることになる国家権力との闘いの渦に、飯塚は否応なしに巻き込まれていく。
 そして昭和45年11月。飯塚事件の被告たち4名は無罪判決を勝ち取った。飯塚の税理士としての姿勢が全面的に肯定されての完全勝訴であった。実に逮捕以来、49日の勾留、6年7ヵ月の長期にわたる公判審理の後だった。しかし飯塚は弁護士らの勧めにもかかわらず、国家賠償請求の訴訟を起こさなかった。飯塚は「自利利他」の信念にしたがい、後ろ向きの泥沼の闘いを避け、栃木計算センター(TKC
)設立という前向きの闘いを選択したのである…。
 原作は本格経済小説の旗手、高杉良の『不撓不屈』(新潮文庫)。日本経済史上希有の事件といわれる実話を小説化したもので、人間存在の根源の視点から描いた高杉の記念碑的作品。映画は、壮絶な闘いのなか、深い家族愛に支えられた一人の男の不屈の信念が多くの理解者を生み出していく様を力強く描きあげていく。
 主人公、飯塚を演じるのはNHK大河ドラマ『徳川家康』の家康役で人気を不動のものにし、以後多くの映画、ドラマを支えてきた実力派、滝田栄。彼の闘いを陰で見守り、支え続ける妻に松坂慶子。対立する大蔵官僚に三田村邦彦、飯塚の恩師に夏八木勲、飯塚の心の師である老師に北村和夫。ほか田山涼成、中村梅雀らが印象的な役柄で顔をそろえる。メガホンは『若者たち』『次郎物語』などの森川時久がとった。