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第33回 ふるさとの歌がほしい
●心の詩をつくった滝廉太郎と東くめ●
文/撮影 泉秀樹



東 くめ

 東京の地下鉄・銀座線の浅草駅の出口の階段をあがると隅田川にかかる吾妻橋のたもとに出る。
 吾妻橋の下を流れる隅田川のキラキラ光るさざ波の上の屋形船。夜の出番までゆらゆらと揺れながらまるで気持ち良く昼寝をしているようだ。
 橋の向う側には人波がつづいている。水上バスが到着して旗をもった人を先頭にいくつもの団体が地上にあがってくる。待機していた写真屋さんが手際よくさばいて記念撮影を行っている。
 人波のなかには外国人も多く見かけるが、ここではみんな一様に無邪気で楽しそうだ。浅草という懐に抱かれるとこういう表情になるのだろうか。

 もういくつ寝ると お正月
 お正月には 凧あげて
 独楽をまわして あそびましょう
 早く来い来い お正月

 もういくつ寝ると お正月
 お正月には 鞠ついて
 追羽根ついて 遊びましょう
 早く来い来い お正月

 誰にでも簡単に口ずさめるこの有名な「お正月」の歌の作詞者が東くめであり、作曲者は「荒城の月」や「花」で有名な滝廉太郎であることを知る人は意外に少ない。
 お正月を待ちわびる子供たちのわくわくする気持ちが、素直でわかりやすい詩と親しみやすいメロディーにしっかりと表現されている。
 明治34年(1901)7月、滝廉太郎が編集した『幼稚園唱歌』(共益商社刊)の一曲として発表されたがこの『幼稚園唱歌』は日本の音楽教育史においてじつに画期的な役割を果たした。
 ひとつはそれまでの難解な文語体ではなく、ふつうの話し言葉に近い口語体で書かれたことだ。
 たとえば対照的な例として「一月一日」という歌がある。
 「年の始めの例【ためし】として終【おわり】なき世のめでたさを…」
 やさしく素直な「お正月」とちがって堅苦しい文語体である。
 もうひとつは歌唱集としてははじめて全曲に伴奏がつけられたことで滝廉太郎のなみなみならぬ力の入れようがよくわかる。

 『幼稚園唱歌』がつくられたのは東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大)教授で付属幼稚園批評掛【がかり】も兼務していた東基吉【ひがしもときち】が妻のくめに相談したことからはじまった。基吉は当時の難解すぎた幼児の歌に大きな疑問をもっておりなんとか新しい歌を作りたいと考えていた。
 東くめは明治10年(1877)6月、和歌山県新宮の藩主・水野家の家老・由比甚五郎の長女として生まれた。
 大阪ウィルミナ女学校(現在の大阪女学院)を経て同23年、14歳で東京音楽学校(現在の東京芸大)に入学したが、年齢が不足していたため選科でピアノを学んで同25年同校予科に入学。
 同30年から東京府立第一高等女学校(現在の都立白鴎高校)で音楽の教諭を勤めながら22歳のとき同郷人の東基吉と結婚した。
 2人は東京音楽学校でくめより2年後輩の滝廉太郎に幼児のための新しい歌をつくろうと話して作曲を依頼し、さらに後輩の鈴木毅一の作曲協力をも得て計画を進めた。
 明治30年代、まだ二十代の多感な日々を送っていたくめは、勤務先の府立第一高女からほど近い隅田川のほとりや浅草寺界隈をよく歩いていた。
 川岸の土手で凧揚げするこどもたちや、路地裏にひびく追羽根の音など下町の風景のなかでこどもたちが愉快に遊ぶようすを眺めながらきっと多くの創作イメージをつかんだのだろう。くめは十数曲をたて続けに発表した。
 同歌唱集のなかには「鳩ぽっぽ」もある。

 鳩ぽっぽ 鳩ぽっぽ
 ぽっぽぽっぽと 飛んで来い
 お寺の屋根から 下りて来い

 豆をやるから みなたべよ
 たべてもすぐに かへらずに
 ぽっぽぽっぽと 鳴いて飛べ

 吾妻橋から雷門通りへ入ると真っ赤な大提灯のさがる雷門がある。
 雷門から浅草寺へつづく参道の仲見世通り。
 色彩が氾濫する商品の陳列に目を奪われながら仲見世通りを抜けて宝蔵門をくぐると浅草寺の本堂である。
 線香の煙を体のあちこちに擦りつけながらお参りをする人波の上空を鳩の群れが飛び交っている。

 なにを合図にしているのか、いっせいに地上におりてきたのでそちらに目をやると鳩の餌の売店があり、その隣に「鳩ぽっぽ」の碑があった。歌詞が銅版に彫ってありその下にこう刻まれてあった。

 この詞は日本中の多くの人々に親しまれている日本の代表的な童謡の一つです 東くめ女史が明治34年に観音さまの境内に於て鳩とたわむれている子供らの愛らしい姿をそのまゝ歌によまれたものであります 歌碑を建つるにあたりまして朝倉文夫先生から鳩並【ならび】に題字を寄せられました事は作曲者滝廉太郎先生と同郷旧知の深いゆかりに依る洵【まこと】にうるわしいご協賛であります 鳩は平和の象徴です そのためにもこの碑は永久に保存したいものであります
昭和37年11月3日 浅草寺恭順識

 くめは詩を作るとき幼児に親しんでもらえるよう擬音を多くとりいれた。
 鳩の鳴き声を「ぽっぽ ぽっぽ」と表現し「鳩ぽっぽ」という言葉を後世まで定着させたのは彼女である。
 一方、作曲者の滝廉太郎はくめの意図するこの擬音をうまく生かした曲作りに成功している。彼は東くめのよき理解者であった。
 しかし『幼児唱歌集』が発表された2年後、天才作曲家・滝廉太郎はわずか24歳でこの世を去った。

 吾妻橋の上で「花」を口ずさむ。明治33年に発表された滝廉太郎の作曲による組歌『四季』の一曲である。
 「春のうららの隅田川 のぼりくだりの」
 夕映えの川下からガラス張りの水上バスが白い波を蹴立てて近づいてくる。
 橋の下を通り抜けるときガラス窓を通して無数の顔と対面した。やはり無邪気で楽しそうな表情だった。
 昭和44年、東くめは91年の天寿を全うした。彼女が若き血潮を燃やした浅草と隅田川はいまも数々の名曲とともに生きいきと生きている。
 滝廉太郎と東くめのつくった歌のようなまっすぐな童心、やさしい心の動き、庶民の小さな喜びを思い出せるふるさとの歌、日本人の心に響く歌を持ちたい。遠く離れていてもすぐふるさとの風景を誇りをもってまぶたによみがえらせることのできる新しい時代の子供の歌を地方自治体はどうしてつくろうとしないのだろう。



いずみ・ひでき
昭和18年静岡県生まれ。40年慶應義塾大学文学部卒業。
産経新聞社記者などを経て作家として独立、写真家としても活躍する。
48年小説『剥製博物館』で第5回新潮新人賞受賞。
著書に『東海道の城を歩く』(立風書房)『日本暗殺総覧』(KKベストセラーズ)『幕末維新なるほど人物事典』(PHP)など多数。
ご意見・ご感想などは
izmi@s4.dion.ne.jpまで。



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