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特集タイトル


いま地方自治体においては、厳しい財政事情に加え、地方分権の推進や市町村合併、電子自治体の実現などによって行政経営の見直しが迫られている。歴史を振り返れば日本では常に改革が行われてきた。例えば江戸時代は260年続いたが、その間に3回の大きな改革があったという。その改革者たちが掲げたのが「愛民」だ。先人の取り組んだ構造改革について作家・童門冬二氏に聞く。


◆『小説上杉鷹山』をはじめ、童門先生の著書には地方自治に関係のあるものが少なくありませんが、ご自身も東京都庁に勤めておられたとうかがいました。
童門 
いまだに、東京都のどこかに自分の椅子があるような感覚が消えていません(笑)。実際に私が書いていることの半分は、都の職員としての経験を振り返ると同時に、あの時、もっとこうすればよかったなという反省がベースとなっています。地方行政は法律や条令によって運営されていますが、法や例規、条例、規則というものはすべて後追いであり、また、現場に身を置いていると忙しくて、なかなか将来を先取りして考えることができません。いま、ものを書くことで、少しでも地方行政に生かすことができればという気持ちはありますね。
◆そうした視点から、いまの地方行政をどうご覧になっているのでしょうか。
童門 
地方分権推進法や三位一体改革によって、これまでの「政府が主で、地方が従」という構造は大きく変わろうとしていますが、こうした動きは「地方分権」というよりも、むしろ「地方主権」に近づけていこうとするもので、歴史的に見れば江戸時代の藩政に戻ることだと考えています。江戸時代には、国政は幕府が、また地方行政は藩や大名家が運営していましたが、藩の経営はいわゆる「十割自治」であり、どんなに財政難になっても、幕府はいまのように地方交付税や国庫補助金など一文も出しませんでした。そのため、各藩は地域特性を生かして産業を振興し、領内でできる産品に付加価値を加えて高く売れるよう努力しました。地方の名産品といわれるものの多くが江戸時代に生まれたのも、そうした理由によるものです。地方自治体は地域特性、つまり「行政のアイデンティティー」をもう一度見つめ直す必要がありますね。そして、もう一つ大切なのが「資源の発掘」です。これは土に埋まっているものを掘り出すという意味ではなく、知恵を働かせて「新たに稼げる材料」を探り出すということです。資源は何も「目に見えるもの」とは限りません。その点で、ひとつの目の付け所といえるのが「地域文化」です。地域文化の産業化や経済化を図り、それによる雇用の創出を行い、地域経済を成長させるという図式で発想する――地方自治体も藩に倣って、そうした経営感覚を持つべきでしょう。そのためには、企画・計画部門を強化し、予算主導のあり方を改める必要があります。まず財政フレームありきで、「予算要求は今年度より一割削減してください」なんてことをやっているようでは、いつまでたってもだめですね。そうした地方自治体は、夢とかビジョンとか、形而上的なものの入り込む余地を自ら排除しているといえるのではないでしょうか。
◆なるほど。ところで「地方主権」とはあまり馴染みのない言葉ですが、これはどう考えればいいのでしょうか。
童門 
徳川幕府の幕閣は、すべてそれぞれ領国を持つ藩主、いまでいう地方自治体の現職の首長によって構成されていました。このため、中央政府である徳川幕府の政策が各藩や大名家へ下達されるのではなく、逆に、各藩の藩主や大名が「これは成功したな」「これは民が喜んだな」という地方行政の実績を引っ提げて江戸城へ乗り込み、それを国政に導入していました。つまり、下流にいる地方自治体のよい政策が、川を逆流して源である国を動かしていたわけです。「地方主権」と申し上げたのはそういう意味で、新たな年が地方自治体へ自信と勇気と意志を確立する年になってくれるといいですね。

少子化と財政再建に取り組んだ吉宗

◆先頃、上梓された『江戸の経済改革』には、徳川吉宗をはじめ構造改革に取り組んだ先人たちが登場しますが、こうしてみると地方が国政に影響を与え、また国政での新しい発見が藩政に活用されるというように、国と地方が互いに密接な関係にあったことが分かります。
童門 
江戸時代の最初の大規模な改革は、八代将軍・徳川吉宗が行った享保の改革です。後に行われた寛政の改革や天保の改革もこれを手本とし、また当時は270の藩でもほとんど絶え間なく藩政改革が行われていましたが、そこで手本とされたのも吉宗の改革でした。そして、吉宗もまた、紀州和歌山藩政で経験したことを国政に生かしたリーダーです。元禄バブル経済の崩壊を受けて始まった享保の改革は、もともとは「少子化対策」でした。400年前、開幕当時の日本の人口は1300万人で、ちょうどいまの東京都と同じぐらいです。それが明治維新の時には3300万人にまで増えたのですが、長年、1300万人で横這い状態が続いていた人口が一挙に倍増したのが吉宗の時代でした。彼は、人口が増えない背景に農村における間引きがあることを知り、新田開発による米の増産を行い、長崎港を通じて海外の優れた科学技術を採り入れ、日本の農業へ革新をもたらしました。その結果、人口が倍増したわけです。米将軍とも呼ばれる吉宗は農村政策へ熱心に取り組みましたが、彼自身も科学書を読み、天体望遠鏡や雨量計測計などを江戸城に設置して、星の観測や水量の計測を行っていたようです。さらに、日本にはない動物や植物などを輸入し、江戸城内に動物園と植物園を設けて公開したりもしています。そして、彼はまた優秀な人材は身分を問わず積極的に登用しましたが、その代表例が田沼意次ですね。意次は和歌山時代には吉宗の足軽でしたが、才幹があったので次第に立身し、十代将軍・家治の世に老中筆頭となって幕府の財政改革に努めました。
◆田沼意次は、一般にダークなイメージが強いのですが、非常に先進的な考え方の優れた人物だったそうですね。
童門 
そうしたイメージの前提となっているのが鎖国感の違いです。意次と同時代の人びとは「日本は鎖国をしている」と思っており、後世の歴史家たちもそう考えました。ところが意次は「長崎港を通じて中国やオランダと貿易を続けているのだから部分開国だ」と考えたわけです。この「部分開国」をフルに活用したのが吉宗であり、意次です。ただ、2人のやり方は正反対のものでした。米の増収を政策の柱に掲げた吉宗が輸入一辺倒だったのに対して、意次は逆に輸出を活発にして輸入は少なくしようと考えました。いまでいう発想の転換ですね。そして、市場調査を行った結果、中国で珍重されるアワビや昆布、フカヒレなどの貿易を拡大する一方で、輸入を抑えるために取り組んだのが漢方薬の国内生産です。そのために平賀源内を活用し、日本中から薬草の元を探し出させました。源内によって集められた薬草は1600種ほどで、その展示会に来た諸国の学者からこういう植物もあると送られてきたものも合わせると6000種を超えたそうです。

「地方主権」の時代のリーダー像

◆吉宗が海外から新しい技術を採り入れたという話は、現代でいえばITに相当しますね。
童門 
おっしゃる通りです。前大分県知事の平松守彦氏が言い出した「グローカリゼイション」という言葉があります。これは地球的規模でものを見て、地域活動を行っていこうという考え方です。これからの時代には、地方行政も世界や日本全体の動きとまったく無関与ではいられません。また、すでに行政よりも住民の方が携帯電話や電子メールなどIT活用が進んでおり、そうなると行政に対するニーズもどんどん変わっていくでしょう。「水は方円の器に従う」といいますが、水を「住民の意識」、方円の器を「住民が住んでいる生活環境・条件」と置き換えれば、これまでは生活環境を凝視することで、ある程度、住民ニーズが予測できました。しかし、これからの時代は「水が方円の器を支配する」ようになり、環境や条件の実測ではニーズを推測することは不可能となります。行政も民間企業並みにマーケティング思考を採り入れて、住民ニーズを的確に把握しなければいけません。そのためには役所の中だけで、ものを考えていても埒があかない。寺山修司流にいえば「書を捨てよ、街に出よう」ですね。
◆グローカリゼイションとは、「着眼大局、着手小局」とも言い換えることができると思いますが、いかがですか。
童門 
そう、その通り。いまの市町村の職員はきょろきょろし過ぎますよね。足下を見て、じっくり周りを見渡せば、磨けば宝石になる原石がいっぱい転がっています。原石を見て「これは宝石ではない」と断定せずに、まずは手にとって研磨機にかけろということです。
◆学ぶべき先人は数多いと思いますが、なかでも地方行政の首長や幹部が注目すべき人物は誰でしょうか。
童門 
リーダーの手腕としては、やはり上杉鷹山、細川重賢、徳川吉宗でしょう。また、経済政策ではやはり田沼意次、さらに理想を追ったということでは尾張初代藩主・徳川義直に注目してほしいですね。特に、徳川義直は名古屋城を蓬莱宮の左側にある城という意味で「蓬左城」と名付けました。蓬莱宮とは熱田神宮を指すといわれ、ここはこの地方に伝わる「あゆち思想」の拠り所です。「あゆち」とは「あえの風」のことで「知多の海の彼方から吹いてくる幸福の風」を意味し、「愛知」の語源ともいわれています。蓬莱というのはユートピア思想ですが、義直はこの幸せの風を領地全域に吹かせたいと願ったのでしょう。そうした理念やポリシーを持ったリーダーとして、義直はもっと見直されていいと思います。
◆地方行政のリーダーは、理念を高々と掲げよと。
童門 
ええ。現代にも理念を持った改革者はいますよ。例えば、梶原拓岐阜県知事や片山善博鳥取県知事などは、先ほど名前を挙げた江戸時代の名君に値するといえますね。
◆なるほど。いずれ劣らぬ名リーダーですね。
童門 
J・F・ケネディー大統領が就任演説で、大衆に向けて「国が国民のために何をしてくれるか問うのではなく、国民が国に対して何をなしえるかを問え」と述べたことは有名ですが、市町村にも無底面、無定量に「行政が何でもやります」というようなことは、そろそろおやめなさいといいたいですね。できることはやる、できないことはできませんと、住民自身が個人で努力すべきことは明確に示さないとだめでしょう。
◆いま再び、新たな時代を切り拓くリーダーが求められているわけですね。
童門 
昭和40年代ぐらいまでの日本のリーダーは、日本をどのように引っ張っていくかという理念やポリシーを持っていました。しかし、いまの日本には「5年後には日本はこうなります」という全体像がない。長期計画を持っているという点では、国よりも地方自治体の方がはるかに優れています。どんなに小さな町村でも企画・計画部門はありますからね。明治政府の廃藩置県によって藩は消えましたが、輝かしい歴史が市町村ごとにあったはずです。「地方主権」の時代が再び巡ってこようとするいま、懐古主義ではなく新しいクリエイティブな発想で地域特性や歴史を捉え直し、自信を持ってこれからの地域経営に挑んでもらいたいと考えています。


ビジネス社 1500円(税別)

「市政」「都政新報」などの連載記事を一つにまとめた。著者独自の視点で分析した江戸時代の経済改革の成功例と失敗例から、現代の行政が学ぶべき点は多い。

プロフィール
どうもん・ふゆじ 1927(昭和2)年、東京生まれ。東京都庁に勤め、都立大学事務長、知事秘書、広報室長、企画調整局長、政策室長などを歴任し、1979年退職。作家活動に入る。第43回芥川賞候補。99年勲三等瑞宝章受賞。著書に『小説上杉鷹山』(上・下)、『近江商人魂』(上・下)、『情の管理・知の管理』、『大江戸豪商伝』、『田沼意次』、『国僧日蓮』(上・下)、『ニッポンの創業者』など。



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